海外で建築を仕事にする

自己紹介

 

leisa

(36)/仕事*建築/趣味*ダンス/住まい*イギリス

 

いつか世界を飛び回り、建築を仕事にすると思い描き始めた10代の頃から、19年。

 

高校の時に研修で行ったニュージーランド以来ますます海の外へ出たくなる。制服なし+始業時間のチャイムなし、という変わった校風で、インタナショナルという名の入った中学高校で6年過ごし、その後大学は東京の美大へ。頭に布を巻いたヒッピーなスタイルの友人に囲まれ、昼休みにジャンベ(太鼓)の音が鳴り響く自由な大学へ。

 

「建築を見に2週間くらいイタリアに行ってこようと思う。」という計画を立てた1年目が終わる頃、友人が「わたしも行きたい、アジアにバックパックで行こう。」と、人生初のヨーロッパ1人旅計画を、アジア4カ国1ヶ月2人バックパック旅計画に変更。タイ(バンコク)→カンボジアシェムリアッププノンペンシェムリアップ)→ベトナム(SARDSで入れず)→インドネシア(バリ→ロンボク島)を回る。

 

その後バックパック旅行にはまり、大学3年の頃、トルコに一人旅。イスタンブールアンカラサフランボルカッパドキア→パムッカレ→カッパドキアイスタンブール

 

卒業後、「やっと安定して働いてくれるのね」という母の言葉と共にゼネコン設計部を受け内定。海外で大学院に行きたいなんて言えず、「or 設計事務所 ?」 という選択肢も心から離れない。内定をもらっていた会社でアルバイトをしている時に出会った女性と意気投合したことをきっかけに、以前働いていた設計事務所を紹介してもらう。ここで晴れて、修行をはじめる。「あまり長くいないで海外へ出たい」とはじめに正直に伝えたところ、「5年修行してからいきなさい。それから、一級建築士をとってから行きなさい。」とお言葉を頂く。

 

20代前半は設計事務所で働きつつ一級建築士の試験勉強をしつつ、それ以外の時間を全て都内のダンススタジオで踊っていた。仕事しながら見て歩いたフランス、スイスの建築が好きになりドイツ語も勉強した。しかし仕事が決まっていないと、ビザは出せないという。リクルートする側は、ビザがないと仕事のオファーは難しいと考える。26歳のときに1級建築士と5年の実務経験という2つの条件を果たし、幸いなことにイギリスのビザが2年とれたため、とにかくポートフォリオを抱えロンドンへ飛ぶ。まずスイスに近くに拠点を移動するということにもなるし、この2年の間を有効活用して後はイギリスの事務所にもたくさんアプライ。というプランを立てる。

 

 

100社近く送ったポートフォリオとレターのほとんどが「今リクルートしていない。」とあっさりとしたコメントと共に返送されてくる中、今ヨーロッパ中がものすごい失業率に見舞われていることを知る。有名建築家デイビッドチッパーフィールドの事務所から面接に呼ばれ、ポートフォリオに自信を持つも、緊張と共に向かえた面接で大敗。それでも、3ヶ月目にアメリカ人のボスが主宰する設計事務所で職を得る。意気揚々と仕事をしていると、「君はもちろんばっちりパーマネントだよ!」とうれしそうに言っていたボスから、「コンペに勝てなかったから事務所の経営が難しくなった」と4ヶ月でさよならする。しかたなく次の仕事を探し始めたところ、フランスでダンススタジオをつくろうとしている友人の設計依頼を受けフリーランスという形でロンドンで半独立。

 

2年働いた後、厳しくなるイギリスのビザがどうにもならないことを悟り、ここでいつか戻ろうと思っていた大学院に出願。合格するも年々高騰する学費を工面するため、2013年の入学を1年遅らせ、日本からの奨学金の応募のため1年の帰国。

 

帰国中に関西で独立、住宅の改装、コンペ、海外プロジェクトの助っ人などを行う。

 

2014年5月末ロンドンへ戻る。

 

<この後4年と4ヶ月の間ブログをお休み。>

 

その間、ロンドンにあるロンドン大学バートレット校(Bartlett School of Architecture UCL)にてまるで5年を1年に凝縮したような日々を送り、兼ねてからの疑問だったダンスと建築の繋がりについて考え、論文でDistinctionを得る。

 

修士号M.Archを取得後、ロンドンのカムデンにある設計事務所ランドスケープアーキテクトの元で働く。日本にいた時に設計事務所でよく考えていた建物の外と内との繋がりについて詳細まで追って行けた経験ではあったが、長時間労働の末極度の腱鞘炎になり腕がしばらくの間動かせなくなる。

 

その後2016年にバートレットで知り合った現イギリス人の夫と結婚。ロンドンは公害がすごいからと環境問題を気にする彼の意見でシュローズブリーという街に引っ越し、往復3時間近くかかるバーミンガムの建築設計事務所にてチームリーダーとして働く。タブレットとペンを用いて割と図面が描けることにホッとする。

 

2018年、妊娠をきっかけにバーミンガムの事務所をやめる。

 

現在娘1歳と15ヶ月。彼女が6ヶ月の時から、以前に一緒に仕事をしたことのあるフランス人の知り合いが大きな日本のプロジェクトを得たのをきっかけにそれを手伝っている。