キャッチアップ

以前のつながりをつなぎ、一週間ひたすら「キャッチアップ」。

 

今日は以前働いていた事務所のボスを訪ねる。新しいパートナーも得て、中東を中心に世界の変な場所にいろいろなプロジェクトを広げていた。新しくできた大きなビルのオフィスをシェアしており、プロジェクトが大きくなれば仲間を増やし、小さくなれば縮小するという厳しい時代を賢く生き抜いている。

 

昔は雇われていた身、異国に来たばかりの状況で、仕事はやりがいがあり楽しくてしょうがなかったがボスにプレゼンするときはいつでも緊張していた。2年たった今、彼は友人のような感覚で接してくれる。最初からそうだったのだろうけれど、こちらがそれに受け答えできる言語能力を備えていなかったからもどかしい日々だったのを思い出す。

 

Overground (普通の電車)で向かう道のりはロンドンのほとんどの移動手段である地下鉄よりも気持ちがよい。街の移り変わりがよく見えるし、プラットホームに注ぐ午後遅くまで明るい夏の日差しが一日をまったく別の感覚で与えてくれる。

 

忙しそうにしているから何か手伝うよと言ったら、もう少ししたら手がいるようになるから何か手伝ってほしいと思っていた、とパートナーのブルーノが伝えてくれた。忙しそうなオフィスを後にし、ボスが駅までわざわざ送ってくれる。週末は中東へ出張へ行くから帰って来たらまた飲みにも行こうと約束し、別れた。

 

まだ明るく天気の良い中、パブでは外でたくさんの人々がビールを飲んでいる。帰り道にスーパーへ寄り、いろいろなフルーツと野菜、ソーセージを購入し家に帰って料理した。

 

 

Royal Academy Summer Exhibition

友人とロイヤルアカデミーのエキシビションへでかける。彼の「彼」も来て、アカデミーの下のラウンジでコーヒーを飲みながら一年間の間に何してたかをそれぞれ交換し、三人でエキシビションを回る。この二人といるといつもとても心地が良い。そんな雰囲気をいつでもつくってくれる。二人が幸せそうなのもこちらも見ていて幸せな気持ちになる。

 

ロイヤルアカデミーのサマーエキシビションは、一般でも学生でもプロでも誰でも応募できるエキシビションである。ちいさなブックレットには番号と値段が載っていてみんなここで作品を売る(買う)ことができる。建築の部分もあり、こちらはほとんどが大手事務所の模型でかなりしっかりしたものが置いてあった。わたしも来年は建築の作品で参加してみたいと思う。

 

映画を見に行くというのでつきあった。小さなMayfairにあるシアターで、Belleという女の子の話である。戦争の間、黒人と英国の名家のハーフとして生まれた女の子が幼い間に英国の名家に再び戻り、同じ歳の白人の女の子と姉妹として育てられるというものである。実際の話をもとにしたもので、人種問題を取り扱っているにも背景があるがほとんど当時の英国の街の様子や少女のきれいな心など美しい描写ばかりで構成されていて、安心して楽しめる映画だった。

 

 

仕事の仕方

ロンドンで2年程前にビジネスを始めた友人がいる。彼はトルコ出身で、土木を勉強したけれど、どうやら人を動かしたりしてマネジメントしているのが似合っているようだ。彼のビジネスは、建物のオーナーから依頼を受けて採寸に行き、図面を作成してプランニングアプリケーション(確認申請)を提出するところまでである。以前設計事務所で働いていたこともあるので、そこのボスと提携もしているようだけれど、自分でもアーキテクトを雇って仕事をしている。

 

そこで、わたしもどうやらそれに参加させてもらえることになりそうである。図面を描く仕事と思えば面白みはないが、何しろロンドン中の古い建物を探索できる上、採寸することでいろいろな知識を得ることができそうである。そして、オーナーが望めばその先の建築的処理をもっと面白いものとして計画する提案をすることもできそうである。

 

友人はこのビジネスを始めるとき、普通のオフィスでも働いていた。これはお金を稼ぐための仕事であって、建築とは関係ないし気に入ってもなかった。しかし2年でこちらのビジネスで安定した収入が入ってくるようになったため、今はそのオフィスでは働いていないという。前は名前のないエアコンのない車に乗っていたのだけれど、今は古いアウディでやってきた。まだエアコンはなさそうだけれど、少し広くなった。

 

こちらにいると、みんな口を揃えて「好きな事を仕事にするのが一番だ」という。それを実際に実行してそして満足そうな顔をしている友人を見れてとても晴れやかな気分だ。

 

地元のアーキテクト

今住んでいるIslingtonをベースにしているアーキテクトに会った。以前からの知り合いであるが、会うのは1年ぶりである。ビザがなくなったから帰らなければいけなかったと知ってはいたのだろうが、会うと「なぜみんなのことを置き去りにして突然消えてしまったんだい?」と笑いながら話しかけてくれる。

 

以前は小さな設計事務所のボスだったのだけれど、今は大学の学部の面倒を見る立場になって1年経つ。彼は建築家であるが、大学からはプロダクトデザインの学科を任されており、新しく改革が必用だと思われたこの学科からその進め役を任されているというわけである。革新的な学部へと変貌を遂げるためには古くからいる人々を新しく人事異動する必用があったことが一番ハードワークであったと言っていたが、以前はおっとりした様の目がそんなハードワークをこなした一年の後には、笑顔の向こうに厳しい表情を持った、一枚皮のめくれた人格を伴っているように見えた。

海外で建築を仕事にする

自己紹介

 

leisa

(36)/仕事*建築/趣味*ダンス/住まい*イギリス

 

いつか世界を飛び回り、建築を仕事にすると思い描き始めた10代の頃から、19年。

 

高校の時に研修で行ったニュージーランド以来ますます海の外へ出たくなる。制服なし+始業時間のチャイムなし、という変わった校風で、インタナショナルという名の入った中学高校で6年過ごし、その後大学は東京の美大へ。頭に布を巻いたヒッピーなスタイルの友人に囲まれ、昼休みにジャンベ(太鼓)の音が鳴り響く自由な大学へ。

 

「建築を見に2週間くらいイタリアに行ってこようと思う。」という計画を立てた1年目が終わる頃、友人が「わたしも行きたい、アジアにバックパックで行こう。」と、人生初のヨーロッパ1人旅計画を、アジア4カ国1ヶ月2人バックパック旅計画に変更。タイ(バンコク)→カンボジアシェムリアッププノンペンシェムリアップ)→ベトナム(SARDSで入れず)→インドネシア(バリ→ロンボク島)を回る。

 

その後バックパック旅行にはまり、大学3年の頃、トルコに一人旅。イスタンブールアンカラサフランボルカッパドキア→パムッカレ→カッパドキアイスタンブール

 

卒業後、「やっと安定して働いてくれるのね」という母の言葉と共にゼネコン設計部を受け内定。海外で大学院に行きたいなんて言えず、「or 設計事務所 ?」 という選択肢も心から離れない。内定をもらっていた会社でアルバイトをしている時に出会った女性と意気投合したことをきっかけに、以前働いていた設計事務所を紹介してもらう。ここで晴れて、修行をはじめる。「あまり長くいないで海外へ出たい」とはじめに正直に伝えたところ、「5年修行してからいきなさい。それから、一級建築士をとってから行きなさい。」とお言葉を頂く。

 

20代前半は設計事務所で働きつつ一級建築士の試験勉強をしつつ、それ以外の時間を全て都内のダンススタジオで踊っていた。仕事しながら見て歩いたフランス、スイスの建築が好きになりドイツ語も勉強した。しかし仕事が決まっていないと、ビザは出せないという。リクルートする側は、ビザがないと仕事のオファーは難しいと考える。26歳のときに1級建築士と5年の実務経験という2つの条件を果たし、幸いなことにイギリスのビザが2年とれたため、とにかくポートフォリオを抱えロンドンへ飛ぶ。まずスイスに近くに拠点を移動するということにもなるし、この2年の間を有効活用して後はイギリスの事務所にもたくさんアプライ。というプランを立てる。

 

 

100社近く送ったポートフォリオとレターのほとんどが「今リクルートしていない。」とあっさりとしたコメントと共に返送されてくる中、今ヨーロッパ中がものすごい失業率に見舞われていることを知る。有名建築家デイビッドチッパーフィールドの事務所から面接に呼ばれ、ポートフォリオに自信を持つも、緊張と共に向かえた面接で大敗。それでも、3ヶ月目にアメリカ人のボスが主宰する設計事務所で職を得る。意気揚々と仕事をしていると、「君はもちろんばっちりパーマネントだよ!」とうれしそうに言っていたボスから、「コンペに勝てなかったから事務所の経営が難しくなった」と4ヶ月でさよならする。しかたなく次の仕事を探し始めたところ、フランスでダンススタジオをつくろうとしている友人の設計依頼を受けフリーランスという形でロンドンで半独立。

 

2年働いた後、厳しくなるイギリスのビザがどうにもならないことを悟り、ここでいつか戻ろうと思っていた大学院に出願。合格するも年々高騰する学費を工面するため、2013年の入学を1年遅らせ、日本からの奨学金の応募のため1年の帰国。

 

帰国中に関西で独立、住宅の改装、コンペ、海外プロジェクトの助っ人などを行う。

 

2014年5月末ロンドンへ戻る。

 

<この後4年と4ヶ月の間ブログをお休み。>

 

その間、ロンドンにあるロンドン大学バートレット校(Bartlett School of Architecture UCL)にてまるで5年を1年に凝縮したような日々を送り、兼ねてからの疑問だったダンスと建築の繋がりについて考え、論文でDistinctionを得る。

 

修士号M.Archを取得後、ロンドンのカムデンにある設計事務所ランドスケープアーキテクトの元で働く。日本にいた時に設計事務所でよく考えていた建物の外と内との繋がりについて詳細まで追って行けた経験ではあったが、長時間労働の末極度の腱鞘炎になり腕がしばらくの間動かせなくなる。

 

その後2016年にバートレットで知り合った現イギリス人の夫と結婚。ロンドンは公害がすごいからと環境問題を気にする彼の意見でシュローズブリーという街に引っ越し、往復3時間近くかかるバーミンガムの建築設計事務所にてチームリーダーとして働く。タブレットとペンを用いて割と図面が描けることにホッとする。

 

2018年、妊娠をきっかけにバーミンガムの事務所をやめる。

 

現在娘1歳と15ヶ月。彼女が6ヶ月の時から、以前に一緒に仕事をしたことのあるフランス人の知り合いが大きな日本のプロジェクトを得たのをきっかけにそれを手伝っている。