世界のどこに住むか。

5年と4ヶ月ぶりの記事。

 

先週日本にいる母親から、「世界を飛んで、建築をする」っていうブログを見つけてね、読んでいたらあなたのブログだったのよ。と。

そんなに昔の更新しかしていないのに、まだストーリーが生きているんだなとの思いから久しぶりに開いてみたのでいつまで続くかわからない記事を、これからもう少し日本との繋がりも持っていきたいと思っている私は、未来のことを少しずつ書きためていきながら、5年と4ヶ月の間のについても少しずつ書いてみようと思う。

 

今どこにいて、これからどこへ行くか。いつもそんなことを考えていて、そのことについては、5年前と全く異なる状況でありながら、今でも同じ質問を頭の中で繰り返している。いつも行ってみたことのない場所で、実際に住んでみて、そこに生まれ育った人の生活、そこに移動して来た人々のモチベーションや理由、どんな生活をしていてどんな価値観を持っているのか。そんなことにどうしても尽きない興味がある。

 

しかし、「世界を飛んで、建築をする」に当たってまず拠点をどこにするかという問題がどうしてもある。なぜなら、建築のデザインを仕事にする時、スキルに置いてはどこの国にでも行けて仕事ができる職種のようである反面、当たり前であるが建築家と名乗るにはその国の機関が定めた建築家登録を行う必要があるからである。

世界を移動し、長くその国にいるとなると、建築士の登録をし直す為に、ほぼ、1からやり直し同等の費用、時間、労力を要求される。

 

私の資格は、日本の一級建築士なので、現在いるイギリスではArchitectではなくArchitectural Designerとなる。それでもなんとか最初に来た2011年から比べるとSenior Project Designerにまではなれたが、このままイギリスにいることを決めるとすれば、イギリスの建築士登録機関のARBが承認しており、建築家登録を担うRIBAの行なっている、RIBA Studioを通して設計事務所で働きながら建築家になるための過程を考えている。

 

私はロンドンのUCL、バートレットで建築修士の資格を得たが、この国で定められているPart 1, Part 2, Part 3 という建築士の資格の工程に置ける修士ではなく、デザイン研究を目的としている修士課程だったため、建築家登録ということに置いては、これはカウントされない。卒業生の多くは博士課程に進んだりしている。

 

次の方向性として、アメリカ・カナダへ行くという選択肢も最近家族で相談している。夫は仕事でアメリカへ飛ぶことが多く、そちらへ行くと海外出張が少なくなるであろうこと、ブレクシットの今後を見据えてイギリスは不況になるであろうこと、都市に住むことで私のダンススタジオへのアクセスがよくなるであろうこと、そんなことがディスカッションに上がっている。

 

3年前に、今の夫が家族になり、この質問はますます複雑になった。なぜならロンドンにいてハッピーだった私に、ロンドンから引っ越すという提案が出たからである。現在、どこに行くかという質問が二人の間で決まるまでの間、シュローズブリーという、夫が生まれ育った、ロンドンから3時間ほど西へ行った街に住まっている。緑の多い、中世の建物がたくさん残る、豊かな街。街の外には絶景の丘群。

 

これからどこへ行くかという選択は、現在15ヶ月になる娘の将来に大きく左右するだろう。ますます複雑になる世界の状況の中で、賢くいろんなことを学んでたくましく生きて欲しい。

 

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新しい銀行

新しい銀行のアカウントをつくった。

3年前につくった一つ目のときとは大違いの事のはやさで

必要だったのはパスポート、現在のバンクアカウントからの住所が確認できる書類。

2日前に最寄りの銀行に行き、アポイントメントをとり、時間に出向き、いろいろと話をしながらその日にはもうアカウントが有効になった。

 

一方、3年前はパスポートの他に証明をできるものがなく、ちょうどロンドン中で暴動があったとき。設計事務所で働きはじめたところで給料の振込先を確保するためにはやく開きたかった口座、2つの証明書がそろえられなかったこと、暴動でオフィスの近くの銀行が軒並みに閉じていたこと、何回も足を運んで、ボスに銀行宛のレターを書いてもらったりしていろいろやってやっとこさ開けた記憶がある。最終的にナショナルインシュランスナンバーという税金を払い込むためのシステムに登録し、番号をもらったところ認めてくれた次第。学生であれば大学がスポンサーになってくれるなど方法があるのだそうだが、いきなり来て証明もなく銀行口座を開くとなると少し手間取るのだった。

 

今日は良い天気。みんな公園に座り込んで本を読んだり昼寝をしたりしている。

 

 

マジョリティーとマイノリティー

わたしの生まれた国では男女差別が割とある。

と思う。

はっきりと「ある」と言えない程度に、ある。

学校の中では少なくとも「ない」である。

そしてそこを卒業するときには、就職活動の場で、まだイコールであることが認められる。そして働きはじめて少しすると、お茶汲みをする男子はほとんどみかけられない。さらに、10年程すると、半分くらいの女子が仕事を変えるまたはやめるなどして結婚、出産に備える。20年すると、キャリア重視で結婚しなかった女子と子供を早めに生んで戻って来た組とに分かれる。30年−40年すると、会社の中ではほとんど女子は管理職には見当たらない。1割程度だろうか。彼女たちは自分で自らのポリシーを持って周りや家族とうまくやっていきながら、子供の面倒も見ながら、そしてキャリアを積み重ねてきたのだろう。彼女たちのいくらかは、自分で会社を立ち上げて、そういう社会をつくりあげてきた先駆者である。そして、そんな会社は社会にとって新鮮で、決まって必要なユニークな存在である。世の中の半分は女子。その社会を動かしていくシステムの半分に女性がいなくてどうして偏りのない決断が下せようか。

 

ところで、ダンサーでいるためには男も女も関係ない。しかしバレーのクラスに行くと、圧倒的に女子の比率が高い。だいたい、1−2割くらいのメンズダンサーがいれば多い方である。そこで、オーディションを受ける場合を考えてみる。バレーのレパートリーは多くが女子ダンサーで構成されているため、メンズの役割は少ない。が、やっぱりここロンドンでダンサーとして職を得るためにはかなりコンペティティブなので、同じくらいのレベルで踊っているダンサーたちを見ると男の子の方が すっ と職を得ていく場合がある。ポジションの割合を見ると同じくらいの競争率になりそうなものであるが、例えばひとつのダンスカンパニーが1度に募集するポジションとして、ダンサー女4名、男1−2名に対して、女子が120名、男子が12名とか来たりする。そうすると、女子ダンサーの競争率は1/30、男子ダンサーの競争率は1/6となり、同じレベルで踊っているすばらしいカップルのダンサーの内、女の子の方はレストランやモデルとしての仕事の傍らこのように→

 

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日々のオープクラスでのレッスンを続け、次のオーディションの機会に備え、男の子は日々のカンパニーでのレッスンに加えて来れるときに朝のクラスを受けにくる。という構図で同じクラスにいろいろな人が集まっている。

 

いずれにしても、世の中のマジョリティーの中にいてはどうしても物事が透明に見えてこない/前に進めない。生まれ育った環境で「これが正しい」ということは家族→学校→会社の中で過ごすうちに、そうでないかもしれないと思うことがあっても、同時に周囲の状況(=家族/学校/会社)によって上書きされながら修正されていくからである。

 

何かに気づいたとき、 すっ と世の中が変わって見えるときがある。マイノリティーとマジョリティー、しっくりくる構成、「すっ」に出会えるために、いまの自分に必要なのは、勇気だろうか、時間だろうか、それともLuckなのだろうか。

 

 

 

 

East London University Summer show

イースロンドン大学建築学科のディグリーショーへ行って来た。ハイバリーイズリントン駅からOvergroundでスタッドフォードへ、そしてDLRに乗り換えてさらに終点近くまで。ゾーン3に位置するちょっとセンターから離れた場所にある。駅を降りると駅からつながって大学のエントランス。つまりこの駅は大学のためにつくられたみたいになっている。

 

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ロンドンの他の大学に比べるとコンピューター色の薄い大学として知られており、作品は「ポエティック」とよく表現されているが、日本人の卒業生も多く、手描きのスケッチや3Dプリントでつくられたのではなく手作りの模型達が並び、割と親しみのある色味であった。

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それにしても、平日であったことも手伝ってか、ショーを見に来ている人がわたしと、あとはカップルが2人だけ。もう少し宣伝しても良いんじゃないかと思うが、大学のキャンパスに入ってからこの建物にたどり着くまでもしばらくかかってしまった。それほど何も標識がないのである。ひっそりと展示された作品たち。

 

時代を生き抜くのに、声を大にして自分の存在を主張しないといけないと駆け回るスタンスではなく、少しセンターから離れた場所で物づくりを行っている姿が展示されていた。

 

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懐かしい場所

ヴィッキーとブリックレーンへ。ここはイーストエリアの最も旬な場所。わたしは2011年にこのエリアの真ん中にある設計事務所で働いていた。まだロンドンに着いて間もない頃、ポートフォリオだけ抱えてやってきたあの頃。

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スピタルフィールドマーケットの中、それから事務所の裏にあるマーケットの屋台がたくさんひしめく通りでよくランチを買って、隣にある教会の階段の裾にボスと並んで座って食べたりしていた懐かしい場所。

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ヴィッキーは以前から友達のイシュファンのパートナーで、今は私の隣人でもある。記号論を専門にする彼女は私と同い年。去年ロシアからイシュファンの奥さんになるためにロンドンにやってきて、その論理的な思考で見事に不況の中その専門分野で今年のはじめに仕事を得て意気揚々と仕事を楽しんでいる。2011年よりは景気は回復してきているようではあるが、私の周りの友人アーティストはやはり定職につくのに困難を極めている。フリーランスのスタイルや、いろいろな形でみんな仕事はしているものの、マスターを出ていても、そして外国人でなくても、「ふらふら」している人はたくさんいる。最初からあきらめずに最後まで目標に到達するポジションを探し続け、実現すると決めていた彼女はそれを見事に達成しており、それでも1年を費やしたその過程の話を語ってくれた。芯のある彼女の話はどれも道理が通っていて、面白い。

 

夕方からステファノに会う。彼は宇宙工学のポスドクをやっているが、わたしのダンス仲間である。彼は最近オーディションに受かってバレーカンパニーとコントラクトを結んだらしく、忙しい仕事と両立してリハーサルを楽しんでいる。研究を始める前の10代と20代の前半まではバレーダンサーとして踊っていたらしく、ベースがあるので今もクラスを受けながら受けれるものがあればオーディションに参加し、ダンサーライフも続けているこれまたポジティブな人種の一人である。私の住む街エンジェルまで来てくれて、好きなスポットのひとつ、運河の横を案内して歩きながら1年の間にあった出来事をお互いに話しながら散歩した。

 

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わたしは周りの人間に恵まれている。彼らを見ていると物事を前に進めて行くエネルギーがどんなものだったか、忘れないで進んで行けるような気がしている。

 

 

裏にあるギャラリー

クリスティアナとTateの裏にあるギャラリーへ。

ロンドンにはこんな小さな名も知れていないギャラリーが街中にたくさんある。彼女の知り合いがキュレーションをした展示らしいが、彼女のような名前の知られていないキュレーターもたくさんいる。

 

場所としては良い場所にあるのでこんな小さなギャラリーでも手に入れようと思ったらとても高い。もちろん、高い。どんな人が持っているギャラリーなのだろうか。わたしもいつか階下にダンススタジオとギャラリーを持つスタジオを持ちたいと願いつつ、ロンドンの街中を探索している。

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Contemporary Ballet

パイナップルスタジオという、ロンドンではポピュラーなダンススタジオがある。

Covent Garden の駅からすぐのところにあって、バレーからジャズ、コンテ、タップ、ヒップホップ、ヨガとどんなクラスでもあるが、ロンドンのダンススタジオの中ではコマーシャル色の強いスタジオである。ここで毎日朝おしえているトリーのクラス(コンテンポラリーバレー)はとても良い。人気があるから毎日のクラスなのにもかかわらずいつも30人くらいのダンサーが朝から集まってくる。トリーはバレーのテクニックをしっかり入れながら、バーレッスンから始まり、そのあとも90分の中にいろいろなレパートリーを入れている。トリーは自分のミュージシャンを連れていていて、今日のピアニストはいろんなパターンのGeorgeousな曲を情熱いっぱいにダンサーの動きに乗せてきてくれた。合わせてダンサーの動きもどんどん深みを増して行く。ピアニストの隣に座って見学をしていた二人もおそらくミュージシャンとして来週あたり参加するのだろう。楽しみである。

f:id:leisa:20140620204324j:plain pineapple dance studio

 

 

夜は以前住んでいたManorHouseの家のすぐ近くに住む友達の家を訪ねた。ここの住人は彼も含め、とてもオーガニックである。フラットメイトのキアラとウィルはドレッド、みんななぜか夜はタイパンツ(アフリパンツと名付けていた)、半分ベジタリアン、ガーデンで野菜を育てるなどなど。。そして野菜とチーズでつくったパイをごちそうしてくれた。

 

キッチンで料理をしている友人とその横にあるテーブルに座ってしゃべっている間にも、友達たちはやってきてそれぞれのことをしながら小話をしてまた戻っていっては戻ってくる。タイヤの空気入れが壊れたからといって持ってきて、それがどんな風に壊れてパイプから空気がもれているかをデモンストレートしてくれたあとは、それをひとまずキッチンに置き去りにし、自分は忙しいと言いリビングで掃除機をかけはじめた。5分するとまた戻ってきて、誕生日はアムステルダムで過ごすけれど、行くかどうかはまだ決まっていないと話しはじめる。またどこかに消えたと思ったら今度はガーデンがある側のドアから再び現れ、ドレッシングをつくるならふたのついた瓶にいれてシャカシャカするのが一番だ。と、ふたのついた瓶を友人の前におき、ドレッシングはコップにいれて泡立て器できちんと混ぜるから瓶はいらないという友人に対してどちらがエコかどうかを議論しはじめる。

 

こんな夜が彼らの日常なのだろう。そして、誰が食べるとも決まっていないディナーをいつも多めにつくって、誰かが帰ってくる度にお皿にのせて渡す友人も、そんな生活が似合っている。

 

気づいたら夜も遅くなっていたので、そろそろ寝るから気軽に好きなだけいていいからといって部屋に戻ろうとする友人に自分も帰るからと告げ帰路についた。